砂漠のノミ・監督の独り言2


武器の消化と兵士のガス抜き?

北京冬季オリンピックが終わるのを待っていた!とばかりに始まったロシアのウクライナ侵攻。

ある意味成功裡に終えた北京冬季オリンピックの余韻を打ち消すように侵攻したプーチンの意地悪さが出ていた。

まぁ、それはそれとして、ウクライナ侵攻という火の無いところに煙を立たすのは大変なことだなぁと思う。世界各国も何か足踏みしている感じで心もとない。これから武器の輸出、派兵も出てくるのか??

どちらにしても軍隊を持つ国、特にアメリカは武器の消化と兵士たちと兵士の親たちのガス抜きが必要なのはわかるが、一般人の命を失わせるのはNGだと思うよ。

 


現代のナイチンゲール

「天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である」ナイチンゲール》

 

というナイチンゲールの言葉があります。患者に対し、骨身を惜しまず献身的に働くだけではなく、むしろ本当に苦しむ人のために闘うのが看護師という考えです。

ところが今、医療界、介護界に起きているのは「効率、経費削減」というナイチンゲールには程遠い世界になっている。ホスピタリティなどという言葉は死語に近い。

私の尊敬するある老健の看護師長のこと。

食事をほとんど食べない男性利用者さんがいました。普通であれば「お腹がいっぱいなのかな」と食事のトレイを下げてしまう。でもその看護師長は「手が不自由だから食べられないのだ」と思い、職員の休憩室に走り、サランラップとふりかけを持ってきました。そして食堂の端で、ご飯を小さな一口大のおにぎりをいくつも作ってお皿に並べました。

すると、どうでしょうか。その男性は手でおにぎりをとり、口に運びました。そして全部食べてしまいました。その姿はまさにナイチンゲールでした。

「苦しむものに寄り添い介護する」精神がここ数年薄れてきているような気がします。不況の上にコロナで介護施設も経営が厳しいことはわかりますが、その経営の厳しさを看護師や職員に押し付ける現状があります。 

とりもなおさず、経営が困難→職員補充なし→職員の負担大。結果辞めていく人も多い。看護師も介護士も労働者であるけど、心はナイチンゲールでいたいものだ。

フローレンス・ナイチンゲール

(Florence Nightingale) [1820〜1910]

イギリスの看護婦、社会起業家、統計学者、看護教育学者。近代看護教育の母。「光掲げる貴婦人」、「クリミアの天使」と称されており、病院建築でも非凡な才能を発揮した。クリミア戦争での敵・味方の分け隔てない負傷兵たちへの献身や統計に基づく医療衛生改革で著名。(wikiより)


奄美とモンゴルが似ている??

奄美や沖縄諸島に住む人々は「ニライカナイ」要するに、海の彼方に桃源郷があると信じられています。

台風や自然災害の驚異にさらされ生きてきた人々にとっては、という心のより所が必要だったのでしょう。ニライカナイは人間が生まれる時は命がやってきて、亡くなれば魂が戻るところとされています。

 

 

 

モンゴルの人たちは「馬上で生まれて 馬上で死す」と言う。

NHKBS「ほっと@アジア」で内モンゴル取材 小堺翔太さんと、ボルーさん。
NHKBS「ほっと@アジア」で内モンゴル取材 小堺翔太さんと、ボルーさん。

 

それは、ある感覚に似ていました。中国内モンゴル自治区に行った時のこと。馬は遊牧民の暮らしになくてはならないもの、足であり、労働力であり、友であり、家族であり、命なのである。人が死ねば、その魂を天上に運ぶ役割をする神の使いでもある。

NHKーBS1、生放送なので大変!ロケも大変でした!
NHKーBS1、生放送なので大変!ロケも大変でした!

その感覚に似ている。

”草原は海”といわれるように、草原に一歩足を踏み込むと、自然界にドボンと投げ出されるような気分になる。

隣の家に行くといっても、ゆうに馬で30分かかる。8月になると冬支度。マイナス30度、40度は当たり前。そんな暮らしをするには馬は必要なのである。命なのである。

そして、命を落とせば、天上に魂を運んでくれる。そんな神の使いのために祭りでは空に向かって馬の絵を描いた紙を投げるのである。                       厳しい自然界で生き抜いてきた人々にとって「桃源郷」は、まさに夢の地、幻の地なのだ。都会でぬくぬくと生きてきた人にとって、神にもすがる・・という感覚が乏しい。

奄美群島、徳之島は、厳しい自然や数々の圧政に苦しんできたため、やはり希望の郷、桃源郷が必要だったのかもしれない


イラン大統領選 文化人弾圧を懸念

大統領候補 Raisi (左)がテヘランで彼の支持者の大集合に演説 -2017
大統領候補 Raisi (左)がテヘランで彼の支持者の大集合に演説 -2017

コロナコロナで一辺倒だった昨今、イランでは、この6月18日に大統領選が行われる。

別に、イランの大統領誰がなっても・・・とおっしゃる貴兄。現在の穏健派のロウハニ大統領の前は、アフマニネジャドという身の毛もよだつ文化人排斥の超強硬派だった。その二の舞が起こるのかと思うと、コロナでバッドな気持ちがさらにバッドになる。

 

 

【カイロ時事】イラン内務省は25日、保守穏健派ロウハニ大統領の任期満了に伴う大統領選(6月18日投開票)の最終候補者を発表した。立候補者の資格審査を行う「護憲評議会」が出馬を認めたのは、保守強硬派重鎮のライシ司法府代表ら7人。ロウハニ政権を支えてきたジャハンギリ第1副大統領ら穏健派や改革派の候補は続々と失格になり、強硬派の勝利がほぼ確実な情勢となっている。

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映画監督「桜桃の味 」のアッバス・キアロスタミしかり、「サイクリスト」のモフセン・マフマルバフしかり、反政府的な映画監督は海外へ逃亡。8年間も海外で映画製作を余儀なくされた。もっとも、モフセンは詩人が殺されたことを題材にした映画(「ゴミの詩人」日本未公開)を作ったので、なおさら危険な目にあっている。

そんな暗黒の8年が、ロウハニの登場で終わったと思ったら、また反米派のライシとかいう人が出てきた。

娯楽が許されないイランでは、映画は唯一の楽しみであるが、また文化の灯が消えていくと思うとなおさらバッドになるのである。


「サイクリスト」モフセンの代表作だ。アフガニスタンから難民としてやってきた男は妻の治療費を稼ぐために、1週間自転車を漕げば大金を得られるという勝負に出る。疲労のあまり、もうろうとして漕ぎ続ける父親。見物人は集まり、映画の撮影も始まる大騒動になる・・・。

 

製作年: 1989年

製作国: イラン/イギリス

原題: THE CYCLIST/BICYCLERAN

監督、脚本、原作:モフセン・マウマルバフ


アメリカ最高裁判事 ルース・ベイダー・ギンズバーグ

https://sheishere.jp/interview/202002-madokayamasaki/転載
https://sheishere.jp/interview/202002-madokayamasaki/転載

「男性の皆さん 私たちを踏み続けている その足をどけて」と言ったのは、女性の権利向上のために、多くの功績を残したアメリカ最高裁判所判事ルース・ベイダー・ギンズバーグ(1933.3.15~2020.9.18)(通称・RBG)である。

 

真面目、料理は下手、テレビは見ない、笑ったところは見たことがないと子供たちは笑う。小柄で控えめな性格であったが、夫の支えもあり、法の世界を生きぬいた。クリントン大統領政権下でアメリカ最高裁判事に任命されたことで世界に知られることになる。

 

功績のひとつに、男子校だった軍事大学、バージニア州立軍事学校に女性の入学を許可しないのは違憲だとした裁判。もちろん勝利、男女共学が実現した。「女性には出来ないという先入観を持たないで」と訴えた。後に、ギンズバーグ判事は「女性に閉ざされていた扉が開きました、未来はよい方向に進むでしょう。」と語っている。

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右から2人めが夫マーティ/当時のクリントン大統領の前で最高裁判事就任の宣誓を行うギンズバーグ(1993年8月10日)Wikipedia より
右から2人めが夫マーティ/当時のクリントン大統領の前で最高裁判事就任の宣誓を行うギンズバーグ(1993年8月10日)Wikipedia より

とにかく魅力的な人である。毅然とした態度、冷静、タフ、高潔さ、それでいてまさにレディ。ファッションが素晴らしい。服のデザインや色使い、スカーフやイヤリングとのコーディネイトも粋でセンスが光る。女性判事のために法衣の上に襟をつけることを提案したのも彼女であった。夫マーティはいち早く彼女の才能を見出し、法曹界で活躍できるよう陰で支えた。そして、2010年に夫が去ったときにこんな手紙を残している「君が法曹界のトップに登りつめるのを間近で見られたのは、本当に素敵なことでした。(抜粋)」。その10年後、ギンズバーグは2020年9月に多くの国民に惜しまれつつ87歳でこの世を去る。                            数々のインタビューや彼女の足跡をたどった映像で綴るドキュメンタリー映画「RBG最強の85才」は必見である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ドキュメンタリー映画          「RBG最強の85才」

                      アメリカでは関連本が何冊も出版され、Tシャツやマグカップといったグッズまで作られるほどの知名度と人気を誇る、RBGことルース・ベイダー・ギンズバーグ。85歳で現役の最高裁判所判事として活躍する彼女は1993年、ビル・クリントン大統領政権下でアメリカ最高裁判事に任命される。女性やマイノリティへの差別撤廃に緩やかに寄与していった彼女の判例の数々や、ニューヨークのユダヤ系の家に生まれ、苦学の末に最高裁判事まで上り詰めていったキャリア、そして、それを支える信念や愛情を、女性監督のベッツィ・ウェスト&ジュリー・コーエンがカメラに収めた。

 

2018年製作/98分/G/アメリカ

原題:RBG

 

配給:ファインフィルムズ


非難を恐れず表現した画家たち

ジェリコーとドラクロア


これはルーブル美術館でも目玉作品、ジェリコーの「メデュース号の筏」大きな作品ですよね。よく美術の教科書に出てくるあの絵です。この作品が描かれたのは、1814年ナポレオンが破れ、王政復古の最中に、フランスの植民地セネガルに向けて出港したフランスの軍艦、メデュース号が1816年遭難。筏で4漂流したなかで、生き残ったのは15人。この悲劇を知ったジェリコーは、1818年から1年かかってこの大作を描きました。

ジェリコーは、準備にとりかかると、ノルマンディーの港に出向き、アトリエには実際の筏を作らせ、ドラクロアなど友人らをモデルにさせるなど、リアリティを追求した。しかし、完成後サロンに出品するも、政府への批判の絵画だと酷評され、ジェリコーは田舎に引きこもることになる。その後倒れ、5年後には32歳の若さでこの世を去った。いつの世も良い作品は発表当時は評価されない。しかし、ジェリコーがジャーナリズムを絵画に取り入れた最初の画家であることは間違いない。

さて、「民衆を率いる自由の女神」はドラクロアの代表作である。色彩の魔術師を言われるロマン主義の巨匠であり、ジェリコーの友人でもある。「メデュース号の筏」ではモデルをするなど、ジェリコーの作風に感銘を受ける。

この作品は、ナポレオンが倒れた後に王政復古し、1830年市民の怒りが爆発し、7月革命が起こる。その自由への闘いを描いたものである。この二つの作品は、権力への怒りであり、未来へ向けた我々への希望のメッセージでもある。最後に気になる点。作品名が「民衆を率いる自由の女神」から「民衆を導く自由の女神」に変わっていることだ。この作品は、どう見ても「率いる」が正しい。男が女に率いられるのを嫌った文部省あたりが替えたのだろうが、作品の意図には合わない。お国を率いる政治家たちの文化度の低さに呆れる。

《ちょっとメモ》                                   ドラクロワが作品を描いたのは1830年の秋。10月21日に弟に宛てた手紙には、「私の機嫌の悪さはハードワークのおかげで解消されている。私は現代的なテーマに着手した。バリケードだ。祖国のために戦わなくても祖国のために絵を描く」と書かれている。(アートペディアより転載)



船好きの話


祖母が東京湾で海苔を作っていたせいか、私自身が海や船が大好き。大きな港に行けばたぶん一日中、コンテナとガントリークレーンを見てる。

 

上海沖のコンテナ港は何十基ものガントリークレーンがあったかな。

日本でも、街中でコンテナを積んだトラックを見ると、ついつい見惚れてしまう。「Evergreen」「MAERSK」「"K ”LINE」「COSCO」などなど。居ながらにして外国を旅している気分になる。「MAERSK」はスウェーデンだったかノルウエーだったかな。

 

番組の取材でシンガポール港でタンカーに乗せてもらったが、底が透けて見える階段、タラップというのかな、それで船内に行くのがとっても怖かった。でも船員の家族は、いとも軽々と階段を昇ってゆく。(つづく)


不親切な作品

NHKBS2世界わが心の旅「ベネチア」陣内秀信
NHKBS2世界わが心の旅「ベネチア」陣内秀信

よくTVプロデューサーから、「もっとナレーションを磨け」と言われます。NHKのプロデューサーからも、徹夜して文言を直された。それはそれで番組作りには必要なことで、今でも役にたっている。(局内で寝泊まりできた良い時代である)

よく、「テレビ番組は中学生でもわかるように」とおっかけ言われるのである。

しかし、映画は想像させたり、思い起こさせたり、余韻を楽しむものである。本で言えば「行間を読む」楽しみである。そこにナレーションをかけると本人の想像力を邪魔していることになるので、私はあまり書かない。もちろん事実は書く。しかし「想定」や「思い」はなるべく書かないようにしているので、今のTVのおびただしいテロップや吹き出しで慣れた方には、不親切に思われる。まぁ、不親切なのである。

NHKBSスペシャル「華僑パワーの挑戦」
NHKBSスペシャル「華僑パワーの挑戦」

過去にNHKで初めて、何人かが同時に話すシーンに人数分テロップを入れた。広東の交易会の番組でのこと、夜、交易会の準備が終わって中国人たちが何を食べるかを真剣にもめているシーン。一般的にはその様子をナレーションするが、我々は違う表現にした。「私は牛麺!」「私は回鍋肉麺」「私は〇〇」と画面全体に会話を吹き出しにした。その方が、食べ物に情熱を燃やす中国人気質が出るからだ。説明はいらない。リアルが一番。

映画「棘」のシーン
映画「棘」のシーン

それで映画「棘」もリアル重視、あまりナレーションを入れていない。制作者の意図を押し付けるのは危険なので、事実のみ語る。言葉を飾って語ったところで心に響かない。なるべくひとりひとりの心に届くようにという思いからである。


兄妹

19歳の頃の武建一さん
19歳の頃の武建一さん

10月17日柳瀬川図書館での「棘」上映会に武建一委員長の妹さんが来て下さった。「監督さんですか?武建一の妹です」と声を掛けられ、本当に驚きました。昨日、上映会のチラシをもらったとのことで、駆けつけてくれました。とても優しく可愛らしい方でした。昨年、日比谷での上映会にいらして頂きましたが、きちんとご挨拶もせずにいました。

お話の中で、うちは貧しかったので兄の仕送りで島の高校まで行けたと、本当に感謝しておられました。そして、お兄さんは、小学生の頃、朝早くから草刈や水くみなどをして働いたとも。日比谷の上映会では兄は収監中でしたから悲しくて映画も見られなかった。とおっしゃっていました。その時の妹さんの気持ちを思うと、私も胸に込み上げるものがありました。妹さんの言葉のひとつひとつがお兄さんへの愛情と感謝の気持ちが詰まっていました。言葉にできないほど感動の出逢いでした。2020.10.19