📚図書新聞No.3431

📚小泉義秀さん📚橋本克彦さん📚中川育子さん


集団交渉「労働者の未来を語る」より
集団交渉「労働者の未来を語る」より

「関ナマ」労働運動の評伝と映画――平林猛著『評伝 棘男―労働界のレジェンド武建一』(展望社・本体二〇〇〇円)
図書新聞No.3431 ・ 2020年01月18日号

 「カンナマ」「関ナマ」「関生」。多くの人が聞き慣れない言葉だろうと思うが、労働組合運動に関心がある人ならば、すぐさま関西を拠点に闘う原則的労働組合を思い起こすだろう。正式名称は全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部。労働組合が昔日の勢いを失い、ストライキどころか労働者の緒権利すら守ることが出来ない現在の「働き方改革」という名の労働現場再編の状況の中にあって、ストを打ち賃上げ労働条件の改善を勝ち取った労働組合なのだ。
 戦後労働運動の高揚は、産別労働組合によってもたらされたといっていいだろう。読売争議をはじめとする新聞放送単一労組の産別闘争などがそのいい例だ。それに懲りて国家や資本側は労働組合を企業別に再編していく。結局、労働組合は企業に包摂され、企業の代弁者のような連合など現在の労働運動の体たらくを招くことになったのだ。ちとはしょり過ぎたかな。

春闘「関西地区生コン支部HPより」
春闘「関西地区生コン支部HPより」

「関ナマ」は生コン車運転手の個人加盟の産別(職能別)組合である。生物のコンクリートを工場から建設現場へ時間内に運ぶ過酷な仕事だ。知っての通りゼネコンは下請け孫受け体質である。「関ナマ」の使用者はほとんどが中小企業であり個別企業との闘争では共倒れになりかねない。そこで各企業が参加し元請けのゼネコンまで巻き込んだ集団団体交渉が採られ、賃上げ労働条件改善を勝ち取ってきた。そればかりか中小企業を協同組合にまとめ、ゼネコンからのをダンピング無しに受注するようにさせていった。また労働組合として経済闘争にとどまらず、安保や沖縄基地問題、反原発など政治闘争、思想闘争にも積極的に取り組む姿勢を示してきた。そして関西の建設業界は「関ナマ」が牛耳っているとまで言われるようになり、時の経団連大槻会長は「関ナマ」に箱根を越させるな!と厳命したほどだ。
 東京オリンピック、大阪万博を控え「関ナマ」労働運動に恐れをなした国家権力、大資本は、大弾圧を開始した。武建一委員長は5回の逮捕、現在も1年以上勾留中。延べ組合員77名、業者8名逮捕、起訴55名。罪名は組合要求が「恐喝、強要」となり、ストライキが「威力業務妨害」となるという、まさに労働運動、労働組合つぶしである。
 その「関ナマ」のリーダー武建一ドキュメンタリー本が刊行された。平林猛著『評伝 棘男‐‐労働界のレジェンド武建一』(展望社)だ。徳之島の生い立ちから労働組合の結成、現在の状況に至るまでを渾身の筆で描き出している。また並走したドキュメンタリー映画『棘 TOGE‐‐ひとの痛みは己の痛み。武建一』(杉浦弘子監督)がある。両者とも必読、必見だ。

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『評伝 棘男 労働界のレジェンド武建一』(平林猛著 2019年10月29日初版第1刷発行 展望社)を読んで。

合同・一般労働組合全国協議会事務局長 小泉義秀

労働界のレジェンドと呼ばれる誇り高き男の肖像

 

『評伝 棘男』という異色のタイトルが奇を衒ったものでないことは、読む前から感じていたことではあった。しかし、このタイトルがこんなに相応しいものであるとは思っていなかった。読めば読むほどその棘の意味が伝わってきて、エピローグで著者自身の棘と繋がるのである。平林さんが労働組合の専従を担ったこともあることも終章の末尾に出てくる。

 

「労働者の命、ストライキを打っただけで、逮捕され幽閉されている。『棘男』武建一と『カンナマ』の組合員たちを取り戻す方法はないものか。

 

 一ジャーナリストとして、一人の人間として、激しく国家権力に抗議する。

即時解放を! 皆さん、声をあげよう。そして行動に移そう。沈黙、無関心は罪です。

 

『若者よ! 何を怯えている。熱く激しいストライキを打て!』」(298頁)

第三章の末尾の一節である。著者の人生と命を懸けた、ふり絞るようなメッセージである。

23歳の武建一 関西生コン支部執行委員長となる
23歳の武建一 関西生コン支部執行委員長となる

三章構成の妙技

 

第一章は「ひとの痛みは己の痛み」というタイトルで、関西生コンにかけられた今回の弾圧を描いている。私は関生関係の著作は何冊も読んでいるが、この第一章の展開の手法と内容は平林さん以外に書けないかもしれない深みがある。

 

第三章「経済成長の底辺で」は武建一さんが大坂に出て関西生コンの委員長になり、ヤクザに殺されかけた経緯など、これも著者の妙技で描かれている。文章を描く技術もさることながら、著者の人生と経験をかけた踏み込みの中で武建一委員長の半生に迫る内容が力強い。

 

第二章「反骨の島」は重厚な内容であり、圧倒された。第一章、第三章は、私が読んだ何冊かの関生関連の本とも重なる部分があった。しかし第二章は徳之島の歴史と武建一委員長の棘のバックボーン、その重みをこれでもかという踏み込みで描き出した。誰も書いたことのない中身である。見事という他ない。

 

杉浦弘子監督の映画『棘』で奄美群島が沖縄よりも先に返還されたことが描かれている。本書では徳之島が鹿児島の知覧を飛び立った後に翼を休めて翌日神風特攻隊として出撃していく「不沈艦」だったことが書かれている。だから「不沈空母徳之島」への空爆は執拗に続き敗戦を迎えるのである。米の占領軍が上陸したのは武建一委員長の生家のすぐ近くだったという。

徳之島 焦土と化した平土野港 
徳之島 焦土と化した平土野港 

 

「その『棘』を話す前に徳之島を含めた奄美群島の成り立ちに触れたい。何故なら、その歴史を理解しない限り、武建一の『棘』を理解することが出来ないからである。」(166頁) 

 

 そう書いて著者は『続日本書紀』西暦797年の話にまで遡る。奄美群島は日本と琉球の支配を受けてはいたが、南国の自由さがあったという。これが農奴の島になるのは薩摩藩の襲来があったからだという。薩摩藩に対する反抗の闘いである1816年の「母間騒動」や1864年の「犬田布騒動」。更に1913年6月の徳之島の銅山ストライキが武建一の『棘』の痕跡であると著者は書いている。「奄美群島最初のストライキ」(180頁)であった。松原鉱業所の経営権は足尾銅山争議の財閥古川鉱業に引き継がれるのであるが、1928年(昭和3年)に閉山している。鉱床の枯渇が理由であるが、「実は度重なるストライキの対策に翻弄されたからだといわれている。

 

 しかし、もし徳之島の銅山が後十年続いたら、第二の足尾銅山事件になっていたかもしれない」(184~185頁)というのが平林猛さんの見解である。

 更に著者は武建一委員長の『棘』のルーツに「地方奄美無産党新興同志会」の平利文のことを記している。平利文は日本共産党の幹部に闘争資金を提供した疑いで敗戦を待たずして42歳の若さで獄死している。第二章の最後の頁は平利文の話であり、徳之島の『棘』のひとつであると。

結語

 

「命を懸けた書」であるのはその内容だけでなく、75歳で病魔に襲われ、倒れた過程で武建一のことを知って著者はパソコンに向かう。「悪魔の薬」ステロイドの副作用に苦しみながら「死ねない! 時間がない」と病院のベッドで悶々としながら、遂に書き上げたのが本書なのである。

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どうも、読後感想が遅くなりました。相済みません。

ノンフィクション作家 橋本克彦(大宅壮一賞受賞)

2019年11月28日(木) 

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どうも、読後感想が遅くなりました。相済みません。

 これは傑作です。いたるところに感心しました。ときどき行を変えて、

叙事詩みたいになっちゃったところなど、これでいいと思いました。

 文章表現のよしあしなど超越した檄文になっているところもよし。

 始めをちょっと読んで、こいつは、暇を見て少しずつ

読むような悠長な本ではないと、一日とって、一気に読みました。

 平さんと武さんとが共振共鳴して、この文章に並々ならぬ緊張と躍動感を

生み出しています。なんとも奇跡的な著作です。

 かとおもうと、相撲取りの下駄のような活字、とは吹き出しました。

 武さんに対する官憲の弾圧、まっとうな組合運動に対するべらぼうな弾圧について読んでいるうちに、小生は私自身の青春を思い出しました。

 

私が経験した日大闘争では芸術学部に、スト破りを請け負った右翼者と日大運動部との連中300名が殴り込んできました。が、コテンパンにやっつけました。

死人が出ないのが不思議といわれた乱闘でしたが、それを理由に、

機動隊が導入されたのでした。良く闘う者は必ず弾圧される。

 

で、武さんの心中察してあまりあります。と同時に、怒る平さんの筆勢とどまらず、ありゃあ、平さん、熱くなってらあ、と感動しました。

 

 日大闘争はご存知のような終わり方でしたが、小生は卒業することを恥じて

除籍を選びました。私は日大中退ではなく、私の正式な学歴は高卒なのです。

 平さんと武さんは「似ている」のではなく、共振する魂でしょうね。

 共産党のむごさは、平さんにもわかる経験でしょうね。まったく日本共産党は感覚の鈍い、うすのろ政治党派です。「お前ら闘わなくていいから、ひとの闘争の邪魔するな、アホめらの小心者」とでもいうしかない。ここらは平さんの経験を想って、心中お察し申し上げます。

 

 徳之島の歴史、薩摩の悪政、家人という奴隷、薩摩と琉球王朝の二重支配をくらった奄美の歴史はしっていましたが、武さんの棘に凝り固まったという因果に感動します。

 

 薩摩の圧政はすさまじく、かの西郷隆盛は、そのあまりの悲惨に薩摩藩士であることを恥じたといいます。ま、西郷はどうでもいいけど。

 

 ただならない徳之島の歴史と武さんの経験です。艱難汝を珠にす、この苦労と不屈の闘志に脱帽しました。平さんをよく知る者として、終章の羽田浦、作蔵さんの気持ち、うっ、となっちゃった。朝やんとおれと羽田の祭りに呼ばれて、多摩川河川敷で風に吹かれながら飲んだ夜を思い出しました。「おれたちが米軍に追われて河川敷に住みついたら、ここらのやつらは土手外者といいやがった」とあのとき平さんは言ったのでした。ふーむ、してみると、土手内の連中のほうがさもしい。

 

 kawa*******muさんによる写真ACからの写真
羽田空港の大鳥居( kawa*******muさんによる写真ACよりお借りしました)

 わたしも74歳。そよそよと吹くのは死の風。あはは。

 

 平さんは体を悪くして、ますますこいつを書く、と思い定めたことに敬服します。なんどもいうけど、養生しなさいよ。どうせ死ぬのだ、続編を書きつつ、くたばりましょうよ。私も、南部藩(岩手県)の百姓一揆の話を半ばまで進めています。だが、さっぱり進まず、こうなったら、できるところまで書いて、くたばって、未完とするつもり。夢中になって書いているうちに、向こうへ飛び出して終わり。こいつは結構カッコいい。

 

 そのうち、平さんの体の調子みながら、いっぱいいきましょう。

 左翼だった平さんが原点回帰、そこから歩み出して、久々に本気になった「棘男」の著作を祝福します。

 

追伸 校正ミスをあちこち見つけた。再版のときになおしましょう。

 ではまた。                    橋本拝

 

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《プロフィール》

 

橋本 克彦は、日本のノンフィクション作家。宮城県生まれ。仙台高等学校卒業。日本大学芸術学部除籍。雑誌記者を経て、1984年に『線路工手の唄が聞えた』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。1990年『日本鉄道物語』で交通図書賞受賞。                    (←写真)バリケードを吹きぬけた風―日大全共闘芸闘委の軌跡 (朝日ノンフィクション) 1986

 

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平林さんの早く世に伝えなければ                                                                という命がけの文章    感動しました

中川育子

2020年1月2日(木)

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大阪府泉佐野在住です。最近、平林さんの棘男を一気読みし、今知人に回し読み中です。監督がつくられた映画も早くみたいのですが、まだです。合同労組の一員です。西山さんと湯川副委員長の勾留理由開示公判(和歌山の件)傍聴できたのですが、原稿も持たず堂々と「何故自分たちがここにいるのかわからない!」と権力弾圧の不当性を追及され、関生は絶対負けない、潰されないと確信を深めました。今週土曜日は、仲間とともに大阪府警本部前に行きます。武委員長、湯川副委員長を奪還したいですね。

平林さんの早く世に伝えなければという命がけの文章、感動しました。本を書かれた後は映画つくりに向かわれたのですね。上映について検討します。その点はお待ちください。

監督のご活躍、今後注目していますのでよろしくお願いいたします。中東は戦争状態、自衛隊派兵を阻止したいです。情勢を動かす活動をしたいと思っています。ではこのへんで。

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