1月1日に能登半島を襲った地震。
この時に、すぐにテレビをつけた。
しかし、東日本大震災の時と違ったある空気を感じた。
「たいしたことない感」である。
地面はひび割れ、川では橋を乗り越える濁流が映る。
しかし、どこか違和感がある。
津波が押し寄せる映像もなく、逃げまどう人たちの映像もない。
要するに「たいしたことない地震」という報道だったのである。
東日本大震災の時は、津波が町や田畑を襲うシーンが生中継された。
高台に避難する人々、津波に呑み込まれる車や家。
能登地震の時はそんなニュースはなかった。
津波も30センチというような情報で
ほっとしたことを覚えている。
そのうち、国会議員の被災地を訪問禁止、ボランティアも禁止という
情報が流れた。どこかがおかしい。
そして1月8日になると、各テレビ局や新聞者が一斉に
地震の被害を大々的に報じたのである。
津波の映像もあった!
政府もメディアも、慌てて被害の大きさを報じたが
しかし、時すでに遅し、国民の関心は失せてしまっていた。
「情報操作」にうんざりしてしまったのだ。
ボランティアとして駆けつけようとした多くの国民の足を止めたのは
政府でありメディアである。その責任は大きい。
(The Indian EXPRESS)2022年7月13日午後1時48分53秒
イランはロシアのウクライナ侵攻のよる西側との対立が深まるなか
映画監督が次々と拘束されているというニュースが飛び込んできた。
イランは世界的に有名なアッバス・キアロスタミ、モフセン・マクマルバフ、マジッド・マジディなどの有名映画監督を輩出している。
しかし、イランの厳しい検閲の中で逮捕、勾留が続き、処刑された詩人もいる。
イランの映画監督たちは海外で製作するなど、表現の自由を求めて苦難の道を歩んでいるのが現状である。
反米保守強硬派のライシ大統領(元検事)が昨年就任。
人権団体やアメリカ、イスラエルが懸念するなかの出来事である。
フランス革命記念日目前の7月12日のことである。
《以下ヤフーニュース7/14(木) 3:06配信 より引用転載》
イランで映画監督の拘束が相次いでいて、世界の映画祭での受賞歴がある監督も拘束されています。
AP通信などによりますと、イランでは先週から今週にかけて、モスタファ・アル・アハマド氏、ムハンマド・ラスロフ氏、ジャファル・パナヒ氏の3人の映画監督が相次いで拘束されました。
アル・アハマド氏とラスロフ氏は、南西部アバダンでのビル崩落事故をきっかけに起きた当局批判のデモを治安部隊が弾圧したことに抗議を表明し、これが「治安の悪化を招いた」として拘束されました。パナヒ氏は2人の拘束について検察当局に状況を確認しに行ったところ、治安部隊に拘束されたということです。
「オフサイド・ガールズ」などで知られるパナヒ監督は、2010年に「反政府プロパガンダを作成した」などとして逮捕され、20年間の映画製作と国外への渡航を禁止されましたが、翌年のカンヌ映画祭には映画を撮影できない自分を同僚の監督が撮影した「これは映画ではない」を出品、2015年には自らがタクシー運転手に扮した「人生タクシー」でベルリン映画祭の最高賞を受賞しています。
ラスロフ監督は2020年、イランの死刑制度を題材にした「悪は存在せず」で、同じくベルリン映画祭の最高賞を受賞しましたが、イラン政府から授賞式への参加が認められませんでした。
カンヌ映画祭とベルリン映画祭はともに今回の監督たちの逮捕を非難する声明を出しています。
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★より詳しい情報は下記にて
(The Indian EXPRESS)2022年7月13日午後1時48分53秒
https://indianexpress.com/article/explained/iran-filmmakers-arrested-jafar-panahi-mohammad-rasoulof-mostafa-aleahmad-8026136/lite/
★ジャファル・パナヒ監督のプロフィールは下記参照下さい。
《イラン商工会議所2022.7.15》https://www.iranchamber.com/cinema/jpanahi/jafar_panahi.php
あれから11年。月日は過ぎていきます。
しかし、いつまでも忘れられないことがあります。
東日本大震災が起きて2か月目には磐城、そして2年に渡って
石巻、女川、南三陸を訪れました。
”訪れた”というのは”支援”という言葉がそぐわないほどの
人びとの悲しみと
荒涼たる風景に立ちすくむばかり。
言葉が出ない!
言葉をかけられない!
石巻で劇場を津波で流され、自らも3km流されて
命をとりとめたオーナーが言う。
”石巻はすべての人が家族や親せき、知人、友人だれかを亡くしている”
”だから自分の悲しみや、辛い思いは誰にも話せない”と言う。
私たはただ黙って杯を重ねた。
ただ寄り添うだけ。
それが精いっぱい。
11年たっても記憶は消えない・・・。
《岡田劇場跡》
手前のがれき一帯が「岡田劇場」跡。
150年を超える大衆劇場、かつては美空ひばり、三橋美智也も歌った。旧北上川のこの中州は荷役でにぎわった場所である。津波の恐ろしさは建物を破壊するだけでなく、文化をも消してしまうこと。
向こうに見えるドームは石ノ森章太郎萬画館。ここで何人もの人々が非難して助かっている。
女川「希望の赤い風船」 石巻「希望の金メダル」 石巻門脇小学校のカンナ
(サンマ祭り2011年10月) 誰かが二宮金次郎像にかけた 津波と火災で黒焦げになった教室
(門脇小学校)
このところの雨と寒さを吹き飛ばし、暖かな晴天に恵まれました。この福島行動は初めての参加。地元の皆さんの全身全霊の反原発の訴えには感動しました。
「廃炉作業は入口にも来ていないと、原発関係者は言う」実行委員の渡辺さん(右)。「それなのに廃炉の終了は30年後という」と船木さん(左・改憲・戦争阻止!大行進神奈川) 実は、会が始まる前に、酪農家の吉沢さんと「カウ・ゴジラ」を紹介して頂いた。「毎年、吉沢さんのスピーチを聴きにきている」という人もいるほどの福島反原発運動の要の方だった。船木さんに感謝。
200頭の被ばく牛を飼う、酪農家の吉沢正巳(67)さん。自らも被爆。「第一原発という墓は残る。福島県民は負の遺産、を背負い続けなければならない。福島の電力を使っている関東の皆さん、ともに闘って欲しい」と訴えた。
吉沢さんは「カウ・ゴジラ」と名付けた牛のオブジェを車に乗せ、全国を回って訴えている。
写真家の飛田晋秀さん。誰もいない町にダチョウが歩く写真で有名である。本来は職人を撮る写真家だった。震災後に福島のある少女に「私、お嫁にいけるかな」と言われ、絶句。車の中で号泣したと言います。写真家としてできることをやろうと決め、2012年から福島の被ばくした誰もいない街を撮影している。その少女のお話を聴いたら、撮影続行不可能に陥りました・・。
≪スナップ≫
主催者のおひとり、椎名ちえこさんとSajuと控室で
黙とうを終え、平林プロヂューサーと、Sajuとグオ・ミンさんと
仙台上映会で伊達市からお越しの吾妻さんから、福島大玉村の闘う米農家、鈴木博之さんのお話を伺った。震災による放射能汚染の風評被害があり福島の米は売れないなかで、東電と闘っているのだ。その鈴木さんの闘いを追ったNHKの番組を見せて頂いた。 まず、NHKでよくこんな番組が放送されたな、という感想。たぶん、企画段階でポシャる筈だが、難関を掻い潜って放送までこぎつけたディレクターに拍手。それは、さておき、土が汚染されたため、土を元に戻せと東電に訴えた。震災後、汚染部分の土を撤去したのは良いが、どうもうわべだけの土を掘り起こしただけで、実質的な解決にはなっていなかった。というのは、東電側は「土と汚染物質が混ざってしまい、土自体は農家のもので、東電は汚染物質だけ取り除くことは不可能」ということだ。子どもの理屈のようだ。
2019年10月15日の原状回復裁判判決
福島地方裁判所の遠藤東路裁判長
「事故により飛散した放射性物質は、それだけを取り除くことは現時点の技術では不可能。東京電力が管理することができる状態にあるとはいえない」
2020年9月15日、仙台高等裁判所
6農家1法人が農地現状回復を東電に求めた裁判の控訴審判決。山本剛史裁判証が「控訴は棄却する」というひと言だけ残して、渦巻く抗議の声から逃げるようにして退席した、わずか1分にも満たなかった。《「ゆい第49号」(全国農民会議)より》
来年2021年は、東日本大震災10年目にあたる。農地汚染問題を風化させてはいけない!
中小企業組合総合研究所より御厚意で
機関紙「提言」の5月1日号を送って頂きました。
「関生支部への支援の輪 広がる」~「関西生コン支部支援」映画と講演の集い~
3月21日DC会館で開催された「棘」の上映会と講演会の模様を記事にして下さっています。
映画「棘」、評伝「棘男」(平林猛著)は、一刻も早く、関西生コン支部の弾圧と武建一委員長の勾留からの解放を願い発表しました。
しかし、この問題は一般の方々には、とてもわかりにくいために伝えにくい面もあります。この「提言」5月1日号は、問題点がとてもわかりやすく書かれていますので、是非、ジャーナリストや報道関係にお配りしたいと思っております。親切に対応頂きました一般社団法人中小企業組合総合研究所 安田様ありがとうございました。
この日、厚生労働省前には医療介護労働者をはじめ、労働組合、市民団体など、400人が集まりました。
白衣を着た人、手作りのフェイスガードをつけた人など医療現場からの「生きさせろ」の要求を突きつけました。また取材陣も数多くNHKの中継車も出ており、にぎにぎしい場となりました。
コロナ感染についてはマスクや医療手袋の不足から、防護服の不足、医療崩壊の様子なども報告されました。また「10万円では足りない100万円の補償を!」というプラカードもあり、雇用不安、経済危機についても訴えがありました。
5月1日(金)11:00~ 厚生労働省要請行動
12:00~首相官邸前抗議行動
■今すぐ100%の休業補償を!
■十分な額の給付金をただちに!
■医療の拡充を! 医療労働者に安全と補償を!
■生き抜くために、安倍政権を倒そう!
主催:2020 生きさせろ!メーデー実行委員会
連絡:東京労組交流センター 台東区元浅草2丁目4−10 電話03-3845-7461 メールcentergo@nifty.com
合同一般労組全国協 葛飾区新小岩2-8-8 クリスタルハイム203 号 電話03-6231-5031 メールzenkokukyoml@yahoo.co.jp
コロナ感染の危機は、医療現場だけではなく、介護施設やデーサービスなど、実はとても危険な状況にあります。特に介護老人施設では、利用者が病になれば病院との行き来があります。病院で院内感染が起これば、即、介護施設も感染者が出る恐れがあります。現在、病院や医師、看護師だけが報じられていますが、同じように介護職員もリスクがあるのが現状です。
4月25日(土)強制退去を命じられた外国人が収容されている東京出入国在留管理局(東京都港区)前で、長期収容に抗議し、処遇の改善を求める抗議デモが行われた。
「友達を返せ!」「マスクとアルコールを!」などなど、コロナ対策の要求なども訴えた。
この入管施設に収容されているのは、在留資格がなかったり、切れたりするなどして不法滞在となり、国外退去を求められている人たちです。
しかし、難民申請をしている人は法律上、強制送還できません。その上収容期限を設けていないため、長期収容される人たちが増えています。
デモ隊は、応援の声を上げながら入管施設を二回回りました。建物全体から悲痛な叫び声、唸るような声、唯一聴こえたのが「ありがとう~」の叫びひとつ。あとは、言葉にもならない「お~」という叫び声!中央の最上階では金網ごしに手を振る人たちが見える。
建物が泣いているようだった。
長崎では餓死者も出たと聞く。母国に帰れば迫害を受ける人たちがいる。もちろん就労目的で来る人たちもいるだろう。土木現場、また介護施設で外国人労働者に頼らざるを得ない現実。そのギャップを日本は埋められない。
左上に映っているのが東京入管。翼を広げたような設計は、どこからでも監視できるからとのこと、いちいち胸に刺さる
ここは品川駅前の公園。出発を待っています。後ろにズラリというのは、公安という人たち。いろんな場所で大勢来ていますが、土日、祝日も出勤、家族サービスもままならず本当にご苦労様です。ただ、どんなお仕事をしているのかよくわかりません。いつも胸が痛いです。メモ帳を手に、いろんなことをメモっているのですが、とても時代性がありますね。タブレットにすれば便利なのにと思います。この日は、モスグリーンのチェックのシャツのお兄さんに「次回作は作っているんですか?」と取材されました。「はい」と答えました。こちらからは「土日もいらして大変ですね、職員さんは何人くらいいるんですか?」と聞きました「たくさんいます」とのことでした。残念ながら「棘」は観て頂けていませんでした。でもイケメンさんでした♪
自らを「戦争を体験した最後の世代」と言い、戦争の残酷さを映像に残した大林信彦監督。その大林監督が病を押して制作した新作新作「海辺の映画館―キネマの玉手箱」公開日4月10日惜しくも旅立った。82歳だった。
監督は言う。
「映画人はすべからくジャーナリストでなければいけない」と語り「情報という『他人ごと』を映画の物語性によって『自分ごと』として実感してほしい」と説く。「映画には虚と実の間にまことがある。その真実を力に僕たちは映画を撮っている。僕が映画を作っている理由でもある」[日本経済新聞夕刊2019年10月21日より
遺作となった「海辺の映画館―キネマの玉手箱」の脚本を手掛けた小中和哉監督は自分の大林監督への思いを語っている。小中監督は「自由と生命をまもる映画監督の会」のメンバーです。
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3月3日、渋谷ユーロスペースで、4月4日開催予定だった上映&シンポジウムの打ち合わせ風景。右より小中和哉監督、仲倉重郎監督、ジャン・ユンカーマン監督・井上淳一監督。
★残念ながら上映会は文京シビックホール。文京区の施設でやはり中止になりました。
★写真下:小中監督に撮影してもらった一枚!この頃は、コロナの深刻さはまだ伝わってきませんでした。イベントのチラシが出来て無邪気な監督たち。
新型コロナウイルスの蔓延で外出を自粛ということですが、この日は、5月8日「棘」埼玉上映会の技打ちで、さいたま市の職員との打ち合わせす。元NHKの皆川さんと、「棘」プロデューサーの平林と行ってきました。
行ってみたら、こ~んなに席が離れて打ち合わせ。仕方ありませんが、手元の資料を見ながら、checkしながらというのはできませんね。
浦和駅東口のパルコ10階にあるホール。まあまあのホールです。まあまあというのは、多目的ホールというのは、実際音響や上映設備も不十分なところがあるので、どうかな?と思っていきました。やはりまあまあです。
スクリーンは400×300です。音響もそれなりですが、歌手サージュが来るからしっかりと。
スポットライトは、天井と正面打ちで1,060円プラスというから追加しました。
開場後方には、稼働式の座席に部分。引き出して使います。窓、上映は夜なので暗転は大丈夫そうです。
このようなコロナの状況ですが、自粛過ぎですので我々、やる気まんまんです。というより神頼み(笑)
アルコール消毒液、マスクの予備、非接触体温計を用意しています。後は時々ドアを開けて換気です。
ご連絡が遅くなりましたが、中止になりました。コロナが終息し、また上映する際にはお知らせします。
4月4日(土)に、文京シビックセンター地下1階の多目的室で憲法問題のシンポジウムがあります。
その打ち合わせを3月2日、渋谷のユーロスペース1Fカフェで行いました。
写真は、右から仲倉重郎監督、ジャン・ユンカーマン監督、井上淳一監督、杉浦。
第8弾「映画監督と時代」~誰がために憲法はある~。井上淳一監督を招き、映画「映画監督と時代」上映後シンポジウムを行います。
井上監督は「今、映画を公開しなければ!」と『誰がために憲法はある』を製作公開しました。表現者として「今、言わなければならない!」そんな思いが監督たちにはあります。映画「棘」も、『待てない!』そういう思いで作りました。今こそ、表現者たちは声を上げよう!!
下段写真、右は司会の小中和哉監督です。
2月16日(日)葛西区民館ホール 15:00~
こ~んな広い会場で、こ~んなに多くのお客様の前で、平林猛プロデューサーと共に映画「棘」の紹介をさせて頂きました。この日は、33年前に国鉄の分割民営化で解雇通知が来た日だそうです。今も熱い皆さんが、この日を忘れないために全国から集まってきます。
それにしてもJRが組合のない会社にするために「運転手」「車掌」という名称をなくすと聞き、意表をついたJRの組合潰しのやりかたに驚きました。また東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の影響で不通となっていた「常磐線の全線開通」というめでたい情報かと思いきや、放射線量がまだまだ危険があるなか、女性の乗務員やお客様などの身体の影響は大。JR東日本は、「スピードを上げて走るので線量の影響は少ない」??と回答したという話など、さまざまな問題点が報告されました。
映画「棘」の紹介は、一般合同労働組合東京西部ユニオン執行委員長 吉本伸幸さんの進行で、花輪不二男さん(世田谷地区労顧問)のと力強いご挨拶、平林猛プロデューサーによる「棘男」を書き上げた経緯などお話をしました。そしてこれからも「棘男」そして武委員長の心と共に全国行脚をしたいと、関西生コンへの支援メッセージを贈りました。
昨年10月17日武建一委員長が関西地区生コン支部を立ち上げた西淀川区の地で初上映会を行いました。とにかく関西生コンの皆さんに見て欲しい、大阪の皆さんに見て欲しい。そんな気持ちで作りましたので、全国での上映会、そしてこのような形で。このような場に立たせて頂けるとは夢にも思いませんでした。「棘」を応援して下さる皆様に心より御礼を申し上げます。
会場では、「棘」上映会を企画して下さっている新潟、高松、つくばの皆さんとお会いすることができました。宜しくお願いします。こちらの写真は新潟の皆さん。
★写真
左:国鉄千葉動力車労働組合 関道利執行委員長
上段:中「改憲・戦争阻止!大行進」神奈川の皆さん。右は筑波から来られた方と平林。下段:中は徳島の仙田さんと平林。右は交流会の模様です。ガンバローポーズはやめて小さくファイトポーズ♪
「BSデジタル号がゆく!〜ブルートレイン 九州一周の旅〜秘話NHK BShiでTVのデジタル化の記念番組として企画制作しました
2010年9月4日、5日に九州各地および、九州を一周した臨時列車「BSデジタル号」車内から生放送するという鉄道番組です。ブルートレインを牽引したDE10 1753号機はこの列車のために黒系のオリジナル塗装に変更され、また58654号機ともども水戸岡鋭治デザインのヘッドマークが用意された。(一部wikiより)
車両デザイナーで有名な水戸岡さんがDE10 1753号機をオレンジ色から黒く塗装するといい、JR九州の鉄道マンがに猛反対。社長に涙で直訴しました。
そしてNHKとJR九州の技術がバトルを展開しました!NHKは生中継だから貨物車両というかコンテナを乗せる台車に中継機材を乗せて、SLを前から撮影したいと申し出ました。そころが、そんな危険なことはできないとJR側。結局NHKは断念しましたが、互いの技術者のプライドが清々しかったです。
1月25日(土)秋葉原のいきいきプラザ・プレイルームで「関西生コン労働組合の弾圧を許さない東京の会」結成に向けた第二回目の会議が行われました。
関西生コンへの弾圧を跳ね返すため、労働組合・団体・個人で
東京から支援・連帯の運動を作っていきましょう!
《結成集会》
3月15日(日)午後2時
千駄ヶ谷区民会館
住所:神宮前 1-1-10
電話:03-3402-7854
交通:JR 原宿駅 徒歩10分
交通:東京メトロ千代田線・副都心線 明治神宮前駅 徒歩8分
交通:東京メトロ副都心線 北参道駅 徒歩8分
1月11日(土)
国鉄千葉動力車車労働組合の「旗開き」に「棘」チームが招待を頂き、参加させて頂きました。
新年に「旗を開く」という日本らしい良い表現だなと思いながら、初めての参加なのでドキドキでした。
ですが受付からにこやかに対応して頂き、ホッとして中に。11月3日の日比谷集会でお目にかかった方もおられて、少し落ち着きました。とはいえ、壁一面に旗が掲げられていて、中央にはお酒の樽はあるし、やっぱり初めての旗開きは緊張でした♪
映画「棘」と、評伝「棘男」のご案内をさせて頂きました。心はいつも、武委員長が逮捕された2018年8月28日で止まっています。ですが関西生コンの現実は毎日変化しています。「関西地区生コン支部で今、起こっている事実を知って頂きたい」という思いで一杯です。
写真を撮影して送ってくださったのは、ビールなど見向きもせずに撮影しておられた上野さん(写真一番左のカメラマン)。ありがとうございました。
新年から縁起が良いのか、厚かましいのか、ビンゴゲームで最初に当たってしまいました!普段はくじ運が悪いので、今年は良い年になりそうです!動労千葉の皆さん、ありがとうございました。
2020新年 「棘」ポスターデザインの浅葉先生にご挨拶
新年早々、浅葉克己先生に新年のご挨拶に伺いました。ちょうど、この日は、ご子息がデザインした「東京パラリンピック」の公式ポスターのレセプションの日。この日ばかりは父親浅葉克己でした。浅葉先生今年も宜しくお願いします。
右から2列目のGOO CHOKI PARがご子息、球(キュー)さんです。お父さんが卓球大好きで海外で「ピンポン外交」をされるほど。だから息子さんの名前を卓球の「球」と名付けたそうです。
2019 お礼行脚
秋も深まる10月21日、大阪上映会の報告も兼ねてお世話になった皆さんへのお礼行脚となりました。ポスターデザイン、「棘男」の装丁をお願いした浅葉克己瀬先生、出版社の展望社唐澤義明代表はじめ、支援の皆さまをお訪ねしました
浅葉先生ありがとうございました。ポスターの評判が良くて、映画も頑張らないとと、ヒヤヒヤしました。
「棘男」を出版してくださった唐澤さんありがとうございました。ソフトカバーで表紙の手触りもよく、とても良い本に仕上がりました。紙質は浅葉先生の指定で(多分そうだと思いました)紙代は奮発。それにニスびきといって、見た目にはわからないけどうっすらとニスの加工がしてある。雨や汚れを避けるためだそうです。装丁、仕上げ・・・本当に皆さんの心がこもった作品になりました。
お二人ともいい顔。 私は座る場所がないので1時間立ちでした。でも本に埋もれた空間、好きな場所です。
ここは新宿ゴールデン街の「MIKI」。10月5日にここで平林がプロデュース、杉浦が制作進行したドキュメンタリー映画「祭爆」上映会の打ち合わせを兼ねて、映画と本の宣伝。ママの美樹さんが入口のドアにポスターを張ってくださいました。この日は、雨混じりでしたが、ラグビーを応援するオーストラリア人客でいっぱい。 写真にはありませんが「蛾王」でポスターを貼って頂きました。「蛾王」のママは、山形国際ドキュメンタリー映画祭の常連客。1週間は映画三昧の日々。映画祭の話はいつも楽しい。