黒糖地獄

~薩摩藩の圧政が生んだ悲劇~


島津忠常 尚古集成館所蔵
島津忠常 尚古集成館所蔵

 黒糖地獄

奄美には「黒糖地獄」と呼ばれていた過酷な時代がありました。

16世紀末、徳之島、奄美本島が琉球王朝の支配化に置かれるが、江戸幕府成立後には、薩摩藩の島津忠常が琉球征伐の折、1610年に奄美を支配下に置いた。

財政が厳しかった薩摩藩は、1745年稲作からサトウキビ栽培を本格化させた。1830年から黒糖を藩が買いいれる制度を作り、島民同士の売買は禁止、それを行えば死罪であった。自由もきかず黒糖を作り続けてきた島民の唯一の食料であるサツマイモ畑もほとんどサトウキビ畑に転換し、年貢として黒糖を取り立てた。奄美の人々に過酷な労働を強いた、まさに「黒糖地獄」と呼ばれるほど過酷な時代であった。

黒糖焼酎についても昭和28年、米軍の統治から解除されてから、条件つきで製造が許可になった。圧政に次ぐ圧政の時代に翻弄されつつも島民たちは、力強く生きてきた。

 


 黒糖 

 

ビタミンやミネラル(無機質)が豊富で、カルシウムは上白糖の240倍。黒糖はブドウ糖をエネルギーに変えるビタミンB1とナイアシンも含まれています。黒糖を食べるとエネルギーが脳へ即届き、疲労を回復させてくれます